熊野古道伊勢路「馬越峠」は雨がよく似合う

昨日と今日と連日の雨模様。さすがにこの雨では生物調査は難しいということで今日は休息日。

久しぶりに三重県紀北町と尾鷲市にまたがる熊野古道伊勢路の馬越峠」を歩いてみることにしました。

伊勢と熊野三山を結ぶ祈りの道である熊野古道伊勢路。伊勢神宮から熊野速玉大社まで170kmに及ぶ道のりの途中には数多くの峠があり、それぞれにストーリーが詰まっています。

私は数年前に全ての峠を踏破し、その峠道の背景、そこを歩く人の決意、道を守る人の思いやり、様々な想いを見聞きしながら勉強させていただきましたが、熊野古道伊勢路は本当に奥深い魅力に満ち満ちた道ですね。

そんな峠をなんで雨に歩くの?と思われた方もいるかもしれませんが、伊勢路のキーワードは「石」「森」そして「雨」。

雨と伊勢路は切っても切れない密接な関係があるんですよ。

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雨と石畳との関係とは?

数ある峠道の中でも年間約3万もの巡礼者が訪れるのが、今回紹介する「馬越峠」。

GWには近くにある道の駅の駐車場に車が止められなくなるほど大勢の方が峠に訪れていました。

その様子を見ながらチャンスがあったら、もう一度歩きたいなーと思っていたんですよね。今回願いが叶って嬉しいです。

さて、なぜこの峠にこれだけ多くの人々がやってくるのか、皆さんのお目当てがこちら。

重厚に敷き詰められたみごとな石畳道。

熊野古道伊勢路に数ある峠の中でも馬越峠の石畳は特に美しいとされ、代名詞ともなっています。

長さ2kmにわたって続く石畳。なぜこんなにきっちりと石畳が敷き詰められているのか、この答えを解くカギが「雨」にあるんです。

年間366日は雨が降ると例えられるほどの多雨地帯である尾鷲市。

石畳はその膨大な雨によって道が崩れてしまうのを防ぐ役割を担っています。

実際、雨が多いときには石畳の上を雨水が滝のように流れている姿を何度か目撃したこともありました。

馬越峠の石畳が作られたのは今から約400年前。初代紀州藩主の徳川頼宣によって道普請されました。

石畳がこんなにも端正に敷き詰められている背景には当時の人々の「装い」もまた重要なカギとなっています。

かつて伊勢路を歩く方の多くは「女性の巡礼者」だったといわれています。

女人禁制の神社仏閣が多かった時代、熊野三山は「貴賎男女の隔てなく、浄不浄を問わず、万人を受け入れる」という姿勢を貫いていました。

蘇りの道とも呼ばれる伊勢路、女性たちは唯一の救いを求め再生を念じて彼方の熊野を目指したことでしょう。

当時女性たちは今の山ガールのような歩きやすい服装ではなく「袴姿」ですから石段など足を大きく上げるような道では到底歩きとおすことはできません。

石畳のようになだらかな作りにすることで女性たちが足を大きく上げなくても歩くことができる。

そんな女性たちを一歩でも前に進ませたい、歩いてもらいたい。

そんな思いやりの心が石畳には詰まっています。

400年間も絶えず人々の思いを受け止め続けてきた石畳。

その背景を知ることで、峠を歩く重みも変わってくるのではないかと思います。

雨の熊野古道の魅力とは?

当時の巡礼者たちは晴れの日も雨の日も熊野を目指し歩き続けました。

雨の熊野古道には晴れの時には見ることのできない風景と出会うことができます。

雨が降り始めると周り一面に霧が立ち込めてきます。

これがなんとも幻想的。この霧の先に神様仏様が待っていてくれているような、そんな不思議な感覚をおぼえます。

石畳も晴れより雨の方が石の色が際立って美しいという方もいますし、わざわざ雨の日を選んでツアーが行われることもあるんですよ。

雨だから今日は峠に行くのを止めようかなと思うのではなく、雨だからこそ歩く。雨こそ熊野古道伊勢路の真骨頂であると私は思っています。

ただし・・・

頂上の天狗倉山に行く時は要注意。。。 足元の悪さはもちろんのこと・・・

頂上からの絶景を楽しみにして一生懸命に登り切ったとしても

霧でなーーーーんも見えません。。。 

これはこれで美しいのですが、ちょっと残念ですよね。

頂上からの眺めを楽しみたいのであれば、晴れの日に登ることをオススメします!

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