手も痛いが心も痛い。あえて「畝立て」した理由

伊賀ぐり農園の半反ほどをスコップ一本で畝立てしてから、いまだに手の痛みというか痺れが残っています。

汗水流してエンヤエンヤと土を掘り返して畝を立てましたが・・・

本来は必要のない作業ですからね。

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10年以上も耕作していない「伊賀ぐり耕起地畑」は言い方を変えれば、動植物や微生物によって10年以上も前から土壌を作られ続けてきた場所

つまり、完全な生命力を持つ大地に向かいつつあった場所でもあります。

この場所を好きに使っていいのであれば、喜んで畝立てもせずに放棄された状態のまま果樹を植え野菜のタネを蒔くでしょう。 

だって生命力ある土壌の方が育ちやすいのは目に見えていますし、そこを掘り起こしたら保水力もなくなり、土がむき出しだと微生物も死んじゃいますしね、作業効率以外いいことなし。

でも、今回の伊賀ぐり農園は「野菜を収穫する」ことを目的としているのではありません。

伊賀ぐり農園が完成していく過程を通じて、生物多様性を活用した協生農法の存在を知ってもらう。その試みに賛同してくれる人を増やすことが目的です。

「放棄地に果樹を植えた→果樹が大きくなって実が取れてた。よくみたら野菜もあるね」ではなく、「放棄地だったところに謎の大きな畝が立った→果樹が植えられた→雑草も山菜もどんどん増えていくけど、何故か野菜も元気に育ってる→なんで???」と地域の人に魅せる、興味を持たせる、話をする機会を増やす仕掛け作りが必要なのだと思っています。

一緒に成長を見守る、追体験をする。このブログの意図と同じです。

だからあえて、作り上げられていた土壌を掘り起こしリセットさせました。

スコップで1かきするごとにゴメンねという気持ちもよぎります。

動植物や微生物が協力してエンヤエンヤと築き上げてきた土壌をスコップ一本で破壊していくわけですから、そりゃシンドイですわね。ひどい話です。

でも今回は、そこからスタートすることに意味がある。

ゼロから野山に。

畝を立てるのは、いまの半反だけでいい。

もし、地元の方が放棄した畑を貸してくれるという話になっても、畝なんて立てなくてもいい。もちろん、畝を立てた方が作業はしやすく管理もしやすいのであった方が便利は便利ですが、耕した分何年も土壌構造は失われる。

どのスパンで、自分が何を目的として、どんな畑を求めるか、十人十色。

私には大塚さんが今計画している「竹笹農園」のような奇抜な応用編のアイデアは、まだ浮かびませんが、まずは協生農法実践マニュアルにあるような基本の畑を造成していければと思っています。

大塚隆さん(野人エッセイす)の竹笹農園についての記事はこちら

SonyCSLの舩橋博士による2016年協生農法実践マニュアルはこちら

こんなに掘り起こしちゃって・・・すいません。。。

 

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