私が「協生農法」に取り組む理由

このブログを始めてから、4月で3年が経とうとしております。(2020年2月現在)
有難い話で、徐々に読者の方も増え、様々な方と知り合う機会も多くなってきました。
 
そこで最近よく聞かれるのが・・・
 
「どうして協生農法を実践しているの?」
「そもそも協生農法に興味を持ったきっかけは?」といった質問。
 
その際「生きものの大量絶滅が・・・」「気候変動の問題を・・・」などと、
肩ひじを張った答えばかりになってしまっていることに気付きました。
 
そこで今回は、私が「自然循環」を意識するようになったきっかけや「協生農法」に出会い
衝撃を受けるまで、幼少期からの思い出と重ね合わせながら振り返っていきたいと思います。
 

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「自然三昧」の幼少期

 
三重県の伊賀盆地という、四方を山に囲まれている土地で育った私。
物心がつく保育園くらいのときから、遊び場といえば裏山や近所の川など「身近な自然」でした。
 
クヌギにトラップを張ってカブトムシを探したり、小川でサワガニを取ったり、
池でザリガニを釣ったり、祖父からいろんな遊び方を教わり、
そうしたフィールドをキャーキャー言いながら傷だらけになって駆け巡っていたことを鮮明に覚えています。
 
飼おうと思って川から取ってきたヌマエビやサワガニを祖父に食べられてしまったという苦い経験もあり、
その時は泣いて怒りましたが、今となっては当時の祖父の気持ちが痛いほどわかります(笑)
 
しかし、小学生になる頃辺りからでしょうか。
そうした山はどんどん宅地造成され団地へと姿を変えていきました。
 
山が失われたことで表層や地下水の流れ、周辺環境が変わり生き物もめっきり少なくなりました。
それと同じくらいの頃から、川や池で遊ぶことは危険だと言われ、近づくなと注意されるようにもなりました。
 
自分が幼い頃は循環のことなど知る由もなく、単に遊び場が減って悲しいなというくらいにしか思いませんでしたが、
そうした出来事が積み重なっていくうちに少しずつ「自然」から遠ざかるようになり、
心に蓋をして見ないようになっていったように思います。
 

愛される植物、嫌われる植物

現在のごっつい外見からは想像できないかもしれませんが、
昔からオオイヌノフグリなど春に咲く可憐な野花が好きだった私。
 
 
そうしたキレイな花を家に持ち帰って飾ることもありました。
しかし、いつも何故だか飾っていた花が翌日になると無くなっていたのです。
 
あとから「汚い」と捨てられていたことを知りました。
畑の隅に捨てられた花。雑草はすぐに抜かれるか重機で耕されてしまいます。
 
どうして育ててよい花と悪い花があるのか。
菜の花畑はキレイと喜ばれるのに、どうしてオオイヌノフグリはダメなのか。
 
この思いは、あれだけ自然の楽しみを教えてくれた祖父にも理解してもらえず、
一緒に鉢でチューリップを育てることになりました。
不思議と、全く心はときめきませんでした。
 
こうした原体験も「農」が嫌いになった理由の一つかもしれません
 

人間の存在に疑問を持った多感な思春期

 
高校に入り、生物の授業などで環境と生き物の関わりを知ってから「山川海の循環」に興味を持つようになりました。
 
再び自然に興味を持ち始めるようになって、日常を送る中で違和感を感じるようにもなりました。
 
 
【人間が生きるためには「自然」を開発し壊す必要がある】
 
心の中で、こうした「しこり」は消えず、むしろ疑問として膨れ上がっていくばかりでした。
 
地球は人間のためにあるのではない。
地球でミツバチが消えたら様々な動植物が生きていけなくなってしまう。
 
では人間が消えたら?むしろ地球にとってはメリットしかないのではないか。
 
思春期真っ只中の私は、ヒトが生きる価値や理由について斜に構えて考える節がありました。
 
そうした考えは、歳を重ねていくうちに薄まり、いつまにか忘れていたはずでしたが
協生農法」と出会い、衝撃が走ったというところでしょうか。
 

協生農法が地球を救う

こちらはゴーリキマリンビレッジのスタッフであり絵本作家である二見正直さんが描いた協生農法実践モデルの未来図です。
 
土壌の仕組み、有用植物活用法、そこで暮らす生き物たちの生態、周囲の自然環境、
それらを網羅して学ぶことができ、環境を破壊するどころか構築しながら実りを得ることのできる協生農法。
 
雑草から害虫と呼ばれる小さな生き物、忌み嫌われる鳥たち、規格から外れた野菜、全てがスタッフとして活き活きと輝く世界。
搾取するだけではなく、環境を復元していく魔法の農業。
 
農園を訪れた人は、その土地の果樹や野菜が植物としてどんな姿や生き方をしているのか、近くにはどんな生き物が暮らしているのか、収穫&観察会を通じて「本当の自然の力や豊かさ」に目を向け、自然に対する畏敬の念を持つことができる。
 
 
植物や生き物たちが懸命に命を繋ぐ姿を通し、生を必死で全うする重要さ、生きる喜びを感じられるのではないか。
真の共存社会、持続可能な社会を築くことができるのではないか。
 
この価値観が変われば、世の中が変わる。
その存在を知ってから、私が協生農法に夢中になるまで時間はかかりませんでした。
 
 
さらに深く協生農法を知ると「耕作放置地」や「山村の過疎化」「砂漠化による飢餓や貧困」「気候変動」などなど
現代の社会が抱える問題を解決する策としても役立つとわかり、益々興味を持っていくこととなりました。
 
長々と、私が協生農法に惹かれていった理由を書いてしまいましたが、概ねこんな経緯です。
 
私が目指すのは、人間だけが生きる社会ではなく、植物や動物、すべての命が輝いて生きる社会です。
 
地球は自分の所有物というエゴの塊のような価値観ではなく、地球の中にある生命の一つとしての人間の暮らし。
 
 
自然に感謝し命に感謝し生活する。もちろん文明社会を否定するものではなく、持続できる範囲の文明に抑えて楽しく暮らす。
ネオ縄文時代といいますか、そうした持続可能な暮らしができれば面白いなと思います。
 
そこを目指す手法の一つとして、協生農法を実践していきたいと思っております。
 
もし私の思いに共感し、一緒に協生農法を取り組みたいと思ってくださる方が一人でも多く増えてくれるなら、
これ以上の喜びはありません。
 
日々のブログはどうしても「野菜の成長記」になりがちですが、野菜はあくまで副産物。環境がどのように変わっていくのか
スケールの大小はあれども、それを見つめていきたいと思います。。
 
もしよろしければ、これからも応援宜しくお願い致します!
 

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