新井亮監督作品「ブギーをぶちこめ」@思い込みの恐さを痛感

大変ご無沙汰しております。半月ぶりの更新ですね。

とりあえず・・・

私、ちゃんと生きているのでご安心ください!!

なんせ更新前最後の記事が「銚子川のアユが死んだ日」だったもんで、これを気に病んで寝込んでしまったんじゃないかと思ってくださった方もいたようで、、、とんだご心配をおかけし申し訳ございませんでした。 ええ、単にサボっていただけです。ほんとスンマセン。。。

新井亮監督自主映画「ブギーをぶちこめ」

12月16日(土)。豊田産業文化センターにて新井亮監督の自主制作映画第三弾「ブギーをぶちこめ」を観に行って来ました。

今回上映した会場のあまりの立派さに正直入るのを躊躇するほどひるみました。さすがは世界のTOYOTA!! これは制作者としてはしびれるほど嬉しいだろうなぁ。

15日(金)、16日(土)の2日間の上映だったのですが、両日ともに大盛況だったようで、開場と同時に多くの観客が列を作っていました。

新井さん、いつの間にこんな大人気監督になってしもたんや!? もう遠い世界の人になってしもたんやねぇ(遠い目)。

豊田市の魅力を発信する「とよたデカスプロジェクト」として作られた今回の映画。

会場内には映画のロケ地となった場所の地図やオフショットも多数紹介されていました。

このバスが、後々私の心を狂わせることになろうとは。。。

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痛みや悩みを抱えながら今を生きる苦しさ

作品は、家庭内暴力に苦しむ少年リクトと、明日の見えない日々を悶々と送るOL美江子という2人の主人公の心の葛藤を描いています。

(写真は公式サイトより)

日常から父親から暴力を受けながらも、その環境から逃げずひたすら耐えるリクト。逃げる場所がないのかと思ったら、どうやらそうではない。学校では友達らしき生徒もいるし。でも多分本当の友達じゃないんですよね。

友達ではなく、学校という場所を都合よく楽しく過ごすためのただの「ツール」。

だから自分の都合が悪くなりそうなことには一切首は突っ込まない。いくらリクトの顔にアザができていてもそこはスルー。先生も一緒。無難に今が過ぎればそれでよし、波風立てずに穏やかに今を生きることこそ正義。

そんなトモダチやセンセイには絶対相談したくないですよね。表面上の付き合い、心は空洞で皆無。

あと、これだけ暴力を振るわれていてもリクトが父親の元から逃げることはできない理由。それは多分自分という存在が、唯一父親の心をつなぎとめるピースであることを知っているから。

自分が家からいなくなれば父親は崩壊してしまう、それがわかっているから逃げ出せないんだろうな。1カットだけ出てくるリクトが幼い頃に作った雛人形。今も大切を飾っている父親、幸せだった頃の家族の思い出が心に残っているから、殺したいくらい憎んでいるのに憎みきれない。

もしかすると、自分という価値のない人間に、暴力であってもなんであっても価値を与えてくれる存在というふうに、深層心理の中で思っているのかもしれませんね。

世界が数分だけ美しく見える「マジックアワー」

そんなリクトの救いは、もう一人の主人公である美江子の存在と、二人で堤防の土手から見るマジックアワーの景色。

マジックアワーとは、日没直後に、ほんの数分だけ世界が赤やオレンジ、青と神秘的なグラデーションに包まれる時間のこと。

夕焼けではなくマジックアワーを見ていたというのが、とにかくいいですね。

これ、めちゃめちゃ共感しました。私もかつて東京で働いていた頃、自暴自棄で全てが嫌になりそうになると必ずマジックアワーを見に行っていました。

夕日は自分には眩しすぎて合わなかったのですが、そこから暗闇に溶け込んでいく前に数分だけ見せる世界の美しさといったらもう。

言葉は汚いですが「なんでこのクソみたいな世界がこんなにも綺麗なんや。鬱陶しいくらいに綺麗でムカつくんじゃ!いっそ殺せ!」と泣きながら叫んでいたことを思い出しました。当時の私の救い。それがなかったら危なかったかもしれませんね。

マジックアワーが終わり、ネオンになると、もうどうでもいい世界に戻るんですけどね。金もないし飲みにも行けないから自分とは関係ない世界だし。

あの数分だけは自分のためのもの。そう思っていた日々と主人公が重なり、うわー、これわかるわーと、勝手にシンクロしていました。

そんなこんなで、勝手に色々解釈しながら非常に楽しく作品を拝見させていただきました!

思い込みが悲劇を招く

映画上映後には新井監督や脚本の田中光さんをはじめ、キャストの方々を交えたアフタートーク。

どういう心境で映画に臨んでいたかを聞く貴重な時間です。

エンディングに向けストーリーが転調していく辺りから、だんだんアレ?アレっと?展開に置いていかれそうになることもあり、常に頭の上に疑問符が点灯しっぱなしだったので、自分が思っていた解釈と答えが合っているのか、それとも間違いなのか、少しヒントになることが聞けるかなと楽しみに聞いていました。

まぁ、映画には答えなどないだろう。映画をみて各々がストーリーを刻んでくれたらそれが正解なのだと、「わかったふう」な考えでいたのですが、あるキャストさんから衝撃的な一言が。

○○の役を演じさせてもらった●●です。(○や●はネタバレになるので自主規制)

・・・え?

○○役??

いや●●さんって、主人公が理性を保つために自分の心の中に作り出した守護霊役じゃなかったんでしたっけ!?!?!?

 

うわぁ怖ぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!

 

何が怖いって私の思い込みの力ですよ。新井監督の作品を脳内で勝手にSF物に塗り替えていたという衝撃の事実。

なんか守護霊の割には普通に買い物に行ったり、別の守護霊とやたら親しくしたり、なーんか変だなーヤダなぁヤダなぁと思っていたのですが、まさかの設定ごと勘違いするという致命的なミスを犯してしまいました。

なんでここまで大きく間違った解釈の中、違和感なく最後まで見ることができたんでしょうね。

思い込みってすごいなぁ。

なんだったら、終盤から脳内で主人公はこの世からいなくなっちゃってますからね。

守るものがいなくなった守護霊は、おいでんバス(この世と霊界を結ぶ乗り物)に乗ってあの世へ。

あの世の入り口にあるコンビニで、俗の象徴である「金と食」を捨てて、浄化される。

かなり振り切ったストーリーを描くなぁと思っていたのですが、振り切っていたのは私の頭のようです。

いやぁ、驚いた。今年最大のサプライズをいただきましたよ。面白かったー!!

なんか勝手な解釈で見ちゃってすいません。。。それでも、めちゃめちゃ楽しめました!

新井監督、本当にお疲れ様でした!!! 次回のSFも期待しています!

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