新米だからこそ、伝えられること
こんにちは、麦わらどんぐりです。
いつもブログをお読みいただき誠にありがとうございます。
ほんとに。。
いつも。。。
偉そうなことばっかり書いて申し訳ありませんでした!!
アラフォーにもなって、いまだに青臭さMAX。本当にお恥ずかしい限り。
でも書き方を違えただけで、内容には自信をもっています。間違えたことは言っていません。
あかんことはあかんし、実際に川は汚染され悲鳴をあげている。
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「不耕起1年目」の目線で
ただ私は、去年の4月から協生農法に取り組みはじめたばかりの1年目の新米。ペーペーのペーペーです。
それなのに関わらず、やれ慣行栽培はこうだからいけないとか、協生農法との違いはこうだ!なんて、書いたところで響くものも響かない。
この人は、どの立場からモノを言っているのだろう?ということで終わってしまう。
単に批判するだけ批判するご意見番やコメンテーターみたいなもんですね。(たまに真っ当なことをいうのも同じ)
つまり、私が批判しても、話に説得力がないんです。
私よりも遥かに詳しい方々がブログなどで、慣行栽培がいかにして土壌汚染、環境破壊と結びついているかを説いてくださっているのに、一緒のように真似事を書いてもしょうがない。(もちろん声に出さないと何も始まらないこともあります。)
今の私がブログで訴えかけてなければいけないのは「不耕起によって、いかに生態系が復元していき、その中でどのように野菜が育っていくのか証明」すること。
不耕起1年目にしか見えない目線で、1年目にしか感じない素直な驚きや発見、1年目にしか味わえない感動を書いていけたらと思います。
2年目、3年目、4年目と、徐々に土壌が本来の野山に戻っていく姿を見てもらいながら、協生農法って何かすごいかもしれない、ちょっと面白い興味があるなと思ってもらえる方が増えていけば嬉しいです。
その中で、悪いことは悪い、重要なことは重要と論じればよい。どうしても気づいてほしいことは背伸びをせず等身大で語りかける。
私だからこそ伝えられること、きっとあるはず。仕事もブログも。
その基本なことをFacebookの仲間に気づかせていただきました。
大地に浸透した雨は、小さな一滴として湧き出てきます。それが集まり、小川となり、様々な命を育みながら、やがて大河に変わる。清らかな水は里へ恵みをもたらしながら海へと。悠久の時を流れ続ける。
世の中全体の小数点にも満たない考えが、1となり10となり50を超えれば「常識」に変わる。
この壮大な大河ドラマを私も歩み続けたい。
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