可愛がる?信じる?協生農法は「獅子の子落とし」

不耕起栽培を行っていると、たまに慣行栽培を行っている人たちから「土も耕したらんと野菜も可哀そうになぁ。」という声を聴くことがあります。

この言葉、慣行農法と協生農法の概念の違いを象徴するすごくわかりやすい例だなと思うんです。

この方からすると、野菜への愛情は「根を張りやすい場所を用意(耕起)してあげて、食事(肥料や水)をたっぷりあげる」こと。これが可愛がるということ。

私が行っている協生農法には、この「可愛がり」はありません。その代わり、野菜の力を誰よりも信じています。そんな過剰に可愛がらなくても自分で成長してくれるであろうと信じて見守ることが、いうなれば愛情なのかなと思っています。

獅子は我が子を千尋の谷に落とす

獅子は自分の子をわざと谷底に落とし、這い上がってきた子供だけを育てる」ことを意味する「獅子の子落とし」ということわざがあります。

本当に愛する相手だからこそ、あえて厳しい試練を与えて成長を促す、自分の子供に、弱肉強食の自然界の中を力強く生き延びてもらいたいという親心がなせる行為。

我が子を単純に甘やかして可愛がるのではなく、信じているからこそ突き放すことができるという訓示です。※もちろん本物のライオンはそんなことはしませんが。

このことわざで「協生農法」と慣行栽培の違いを例えてみましょう。

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協生農法の「獅子の子落とし」

落とされた子供たちは、何日も何ヵ月もかけて崖登りにチャレンジします。

もちろん、落とされた場所には水も食料もありません。小動物などたまに舞い込んでくるエサを狩りながら、自然に降り注ぐ雨水を飲み、崖を登る力を蓄えていきます。

そのため、途中で力尽きたり、自分には無理だと諦める個体も数多く出てきます。

それでも何度となく傷つき、失敗し、諦めた仲間に知恵を借りながら徐々に登るコツを自分で学習しつつ、一歩一歩上を目指す。

腕を鍛えて登るものもいれば、足を鍛えて登るものもいる。みんな非常に個性的。

そんな過酷な環境にも関わらず、見事崖を登り切った子供は、引き締まった筋肉隆々の生命力みなぎる百獣の王ライオンに成長していけるというわけですね。

制限時間は定められていないので早く登る子もいれば、1年かけて登り切る子もいます。

ここまでは無農薬・無肥料・不耕起栽培で行う自然農法のやり方です。

自然農法の定義は十人十色で、最初に降りる時300円以内のおやつなら持っていて良いとか、崖の下に1週間分だけの水と食料が用意してあったり、少し登りやすいように崖を低く設定したり、角度を緩めたりすることは自由。どのくらいの負荷を与えて、子供をどのように成長させたいのかは自分次第です。

協生農法の場合は「無耕起、無施肥、無農薬、種と苗以外 一切持ち込まない」というのが定義されていますので、おやつは無し、崖にも何も手を加えないということになりますね。

ただし、

谷にあらかじめ果樹を植えて、子供が少し体を休める環境を提供したり、いろんな生き物たちが集まるように工夫して、子供を大声で応援してもらうようにします。

子供は、その声援を力に変えて崖を登り切ることができるというわけです。

こうして直接ではないものの間接的に手助けはしているわけですね。決して放置・放棄栽培をしているわけではありません。夏場、雑草に野菜が負けそうな時はその周りだけ草を刈るなどもこれに同じ。

あくまで「生命力あふれる野菜を獲得する」ための一つの方法。余計なことはせずに、野菜を信じて待つのが協生農法です。

崖を登り切った強い個体であれば、体が小さくても大きくても、容姿がどんなものでも関係ないんです。

どれだけ生命力のある野菜が欲しいかを自分で考えて、エサとなるキノコが生えやすい環境を整えてあげたり、湧き水の場所を教えてあげればよいだけの話なんですね。 

だから「登るまでどんな筋トレをさせたらいいですか?」とか「崖は10m以上しか認められませんか?」「子供を少しでも早く登らせるためにはどうしたらいいですか?」などそういうことではない。

そこは子供の個性に任せて、崖の上から大声で応援しながら、ただ待つ。

その代わり、崖を登り切った子供は全力で抱きしめてあげましょう。

「そんだけ時間がかかるなんて」「いびつな筋肉」と笑う人がいても、よく頑張った、あなたは強いと思いっきり褒めてあげましょう。

慣行栽培の「獅子の子落とし」

とりあえず全員を谷底へ落としはしますが、実は全員にエナジードリンクと弁当がたっぷりと手渡されています

なんなら「パワーフードを提供するレストラン」がある崖もあります。

すごい勢いで子供たちは体が大きく成長し、短期間であっという間に崖を登っていけるようになります。

しかも、崖に足場や階段がついていたり、スパイクのついた靴まで提供してくれます。

効率的に体を鍛えるカリキュラムもあり、皆同様の筋肉がつく。最後はみんなで決まった時間に一斉に登ることが定められています。

なんと中には崖を登りやすいよう、あらかじめジャンプ力に長けた両親の遺伝子を組み込まれたり、足の裏にトゲが生えるよう調整されている子供もいるようです。

このように、「ふるい落とすのではなく、なんとかして全員を登らせようとするための一つの方法体を大きくし早く登らせようとするのが慣行農法です。

自分の力で崖を登るという過程よりも、崖を登ったという証拠があればなんでもよい

とにかく早く登ってもらわにゃいけないので、体重が10kg増えたら、登らずともエレベーターで上がれるという最新システムを導入している崖まであります。

一方で、途中で一人で早く登ったり、集団とは別の鍛え方をするはみ出し者、カリキュラムについてこれない個体は容赦なく切り捨てられるという一面も。

いくら優秀な個体であっても、集団の輪を乱すものは必要とされないのです。

まとめ

生農法は、慣行栽培に比べて、体は小さく、筋肉の付き方はまばら。登り切る時期もわからない。最後まで生き残る個体は少ないものの、生命力は抜群。大地や太陽、生き物たちの応援の力で崖を登る。

慣行栽培は、協生農法に比べて、体は大きいが不自然なくらい筋肉の付き方が同じ。みんな等しく成長させるので登り切るのも同じ、多くの子供が生き残る。エサの力や、人が手を加えること崖を登らせる

 

この例え、いかがでしたでしょうか?むしろ例えた方がわかりにくくなっていたりして。。。

とにかく同じ野菜とはいえ、求めるものが全く違うので、そもそも似て非なるものだと思った方がよいくらい。

慣行栽培の方に「その育て方で生命力はどうなんですかね?」って聞くと「は?何を言うてるんですか?」ってなるでしょ。

その価値観が違えば、「愛情の捉え方」も変わってくるというわけです。

もちろん、お互いに目指すゴールや目的があり、決してそれを否定できるものではない。

環境のことを抜きにして考えるのであれば、自分が野菜に何を求めるかで購入先や栽培方法を選べばいい。

しかしながら、個性を無視してカリキュラムを重んじる、輪を乱すモノは切り捨てられるなど、教育や社会全体にも通じるものがあるように思えてならないのは私だけでしょうか。。。 

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