「生きたい」と願う植物は「どんな場所でも成長できる」
野菜や果樹は、肥料を使わないと「うまく育つはずがない」。
それが今の世間の常識であり定説です。
「うまく」という部分を「早く、大きく」と解釈するのであれば、それは正しいでしょう。
「うまく」という部分を「強く、たくましく」と解釈するのであれば、それは間違いだといえます。
肥料を使うのは「早く、大きく」養殖のように立派な野菜を育てる。
動植物の力に任せて見守っていれば「強く、たくましく」自然の立派な野菜に育つ。
だから「肥料を使わないと強くもたくましくも育たない」と思っていることに私は大きく声をあげて、そうではないのではないかと訴え続けているわけです。
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野山に生きる植物の「力強さ」
私が行っている協生農法は無農薬・無施肥・不耕起・混成密生で行う自然栽培のひとつ。
人間の力ではなく、動植物の力を借りて野菜を育ててもらう農法です。
そんな方法で育つわけがないだろうという意見の方も少なくないでしょう。
しかし、野山や森の木々の姿を見れば、そこに答えがあります。
例えばこちらの木。
岩のわずかな隙間に根を張って、立派に成長しているんです!肥料どころか土すら満足にありません。
こんな環境でも、私が手で引っ張ってもビクともしないくらい頑丈に根を張って生きている。
【野山で植物が育つのは「腐葉土の層」があるからだ】
もちろん腐葉土があればより楽に育つことはできるのでしょうが、そうでなくとも生きる気持ちが強い植物は、どんな環境でも育つ生命力を持っている。
ちょっとした苔の上だけでも成長していけるし、全ては気持ち次第。
「岩の隙間」「苔の上」こんな場所でも成長できるのに、たとえ重粘土質であっても、土は土なんですから、私の畑で野菜や果樹が成長できないはずがない。(もちろん、ただの土ではなく様々な命が解け込んだ「土壌」であることを大前提として)
私は、それをサポートする自然界の循環を生み出せるような環境整備を行うだけ。
植物はどんな悪環境であれ、育ちたいと願えば育つことができる。
植物は「そんな強い存在」であると信じています。
だから私は、タネをまき続けて「自分で育つ意志を持つ野菜や果樹」を探し続けているんです。
そして、そんな意志の強い野菜を食べて、私も野生の植物に負けないくらい生きる意志の強い人間になりたい。
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