不自然な「シゼン」って何?
慣行農業を行なっている方々には自然栽培や協生農法は明らかに異質に見えるんでしょうね。
ウチの父親もまさにそう。。。 完全に心に壁を作っているので、話を聞いてくれもしません。
でも、父親が思う「自然」ってなんなのだろう? 不自然なシゼン、その矛盾について考えます。
野菜の価値観
無肥料、無農薬、不耕起で行う協生農法の畑で、グングン成長している薬膳ブロッコリー。
この野菜を見て、うちの父親が一言。
「そんな旬過ぎたブロッコリーなんか食べられるかい。見た目も悪いし、刈り取ったろか?」
一般的には結球もせず、葉が広がっただけにしか見えないブロッコリー。正真正銘の生命力溢れる力強い野菜です。
しかし、慣行農業を営む父親の目には、出来損ないのクズ野菜にしか映らないようで、非常に悲しい限りです。 いくら私が美味しいと言っても嘲笑されて終わり。
その目で何を見ているの?
アホな息子が畑をほったらかしている姿?(不耕起栽培は、ただ草取りをサボっているだけにしか見えない)
姿形の悪い野菜を、美味しい美味しいと食べている変人?(できる野菜は小さく、形がいびつ。それをムキになって食べていると思っている)
私がやろうとしていることに耳を傾けずに、ただ批判するだけならとても簡単。でも家族なら、せめて話だけでも聞いてくれたらいいのに。変な事してるなと思ったら、何をしてるのか見ててくれたらいいのに。
慣行のやり方以外にも、自然栽培、協生農法という道もあるんだよと言う選択肢を増やしたいだけなのに、完全にシャットアウト。
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元JA職員である父親のゴリゴリに凝り固まった固定概念を変えることは不可能に近いと思いますが、こちらの本心すら伝えさせてもらえないのは非常に残念ですね。
何も考えない、感じない、聞いたらめんどくさいことになりそうなので無視。
近所には「アホ息子が遊びでやってる畑で野菜なんてできるわけない」「どうせすぐ果樹が枯れて諦めるから、2年後には畑を潰して田んぼに戻す」と言い回ってるそうですが、どうぞご自由に。
私が諦めたら、すぐにでも畑を潰してくれて結構。でも私は諦めません。諦めるどころか、年々土壌ができて徐々に収穫量も増えていくのですから、その変化にむしろ驚いてください。
2年で成果を出せと言われると、正直厳しいところがありますので、せめて4年は待ってもらうように交渉したいと思います。
薬膳ブロッコリーは誰のもの?
しかしながら、父親の目にはクズ野菜にしか写っていないようですが、そもそも私がブロッコリーをそのままにしているのは「自分たちが食べるため」だけではありません。
野菜をよく見ると
古い葉っぱを食べて糞をする「カタツムリ」。
葉っぱの裏には「孵化を待つサナギ」。
野菜を食べ物としての認識だけではなく、様々な生き物の命を包み込む宿であるという価値観。
野菜は寝床と、ほんの少しの食事を提供する代わりに、たっぷりと栄養を運んでもらう。こうして自然界の植物や生物はお互いにメリットを与えながら生きている。
それなのに人間は、ただ搾取するだけ。自分本位過ぎだと思いませんか?
国や県、社会全体でも「生物多様性が重要」と言っているわりには、畑では雑草や虫、鳥は悪者扱い。なんで?
「手付かずの原生林を残そう」と予算をつけて活動しているのに、どうして畑の土はボコボコに掘り返すの?
「キレイな川を守ろう」という志しを持ちながら、自分の畑では肥料を使い、地下水を汚染させて川や海を汚してしまうのは何故?
理念は素晴らしいのに、どうしてこんな矛盾が起きてしまうのでしょうか。
上記の人たちが悪いわけじゃない。だって皆さんは知らないだけですから。「自然が大切」という気持ちがあるのに、その方法を間違えているだけ。
土を掘り起こして、雑草や生き物を除外し、肥料をまく。この常識と言われている慣行農業の方法が、いかに「自然と乖離している」か。
だから私はアホと言われても、みんなに本当のことを知ってもらいたいから訴えかける。
一緒の形や大きさで、規格通りに作られた野菜。
自然の中で「育まれた」野菜ではなく、人為的に肥料などを施工し「作られた」野菜が、どうして「自然の恵み」なのか。
野菜だけ育てば、それ以外の命はどうでもいいという考えがどうして「普通」なの?
もっと足元を見て見ましょうよ。近くにある不自然なシゼンに目を向けましょうよ。
そうするときっと、「違和感」に気づくことができるはずです。
このブロッコリーなら、お父さんが、言うのも理解できますね。
私は、定年後に半分慣行農業で始めましたが、今は有機肥料で化学農薬を使わない農業をしています。修礼的には、完全無農薬・無肥料で育てることができれば良いなと、思っていますが、あと10年はかかると思います。
私の住んでいる近くで、元農協の農業指導員の方が、減農薬で野菜を作っています。現役の時は、畑を見て、「これだけ順調なら、出荷までに農薬の散布をしなくても良いでしょう」と言っても、「農薬の回数を見ると、もう1度散布できる」と言って、薬を散布している人がいたそうです。本当に、農薬や肥料の扱いは、人それぞれです。
もしかしたら、何かのきっかけで自然栽培のことを理解してくれるかもしれません。その時が来るのを期待して頑張ってください。
芝さん
コメントありがとうございます。
確かにブロッコリーの姿だけを見れば父親が言ってしまうこともわかる気がします。
しかし、それは収穫物としてのブロッコリーとしての認識でしかありません。
私が目指しているのは生物多様性による土つくり、畑という「環境作り」です。
野菜はその過程で発生する「副産物」に過ぎません。
この概念を父親に理解してもらえるのは随分先になるかもしれませんが、、、
いつか機会してもらえる、いや、話を聞いてもらえる日が来ることを期待して
1日1日励んでいきたいと思います。
芝さんのご活躍もお祈りしております。