激走!初42.195km「神戸マラソン2017」
朝起きて、足を中心に全身に巡る鈍い痛み、というか激痛。
そして枕元に飾ってあるこちらのメダル。
あぁ、神戸マラソン2017という人生初のフルマラソンを無事完走できたのは夢ではなかったのだなと、実感します。
しかし、面白かったと言えないくらい、しんどかったなぁ。。。
では、どんなマラソンだったのかご紹介していきましょう。
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1万9709人が駆け抜けた「神戸マラソン」
2017年11月19日(日) 晴れ
当日の朝、ランナーたちの集合場所となっているのがスタート地点の近くにある「みなとのもり公園」。
三ノ宮駅からみなとのもり公園まではこのような大行列。人、人、人。ぎゅうぎゅうです。
公園内では、着替えや防寒着などの手荷物を預けることが出来ます。預けた荷物はゴール地点まで運んでくれるというありがたいシステムになっています。(個人ナンバーが書かれた専用の袋に入れて渡すので、あとで間違える心配はありません!)
この場所でアップして体を温めたり、柔軟をしたりと各々がスタートの準備を行います。
当日は、好天に恵まれましたがとにかく寒い。。。今季最大の冷え込みとのこと。。。
そのため、走っている途中で着脱できる防寒用のビニールビブスを身につけている人も多く、すごく羨ましい気持ちになりました。良さそうなアイテムが色々売っているんですね。
前準備をせず、完全に飛び入りで参加した自分が悪いのですが。。。前日の記事はこちら。
会場内では、スタッフの皆さんが、「バナナいらんかね〜」とエイドを配ってくれています。
朝ごはんを食べずに慌ててホテルから飛び出して来た私にとっては最高のご馳走!とっても助かります!!
他にも、「お守りお配りしてまーす」と言ってもらったのが
チョコレート菓子の「きのこの里」。
レース途中で糖分を欲しくなったら食べて元気を出してねという意味でしょうか。
もうここまで来たら引き下がることはできないんだなと、気持ちが切り替わりました。
復興支援の象徴「ひまわり」
スタート直前には、ランナー全員に配られている黄色の手袋を使ったセレモニーも。
黄色の手袋は復興支援の象徴であり、大会のシンボルにもなっている「ひまわり」を表しています。
22年前に起きた阪神・淡路大震災の直後、瓦礫の中でも元気に花を咲かせていたのがひまわりでした。
この大輪のひまわりを見て、ある人は「希望を持って生きていけば必ず復興できる」と信じ
また、ある人は「ひまわりに震災で亡くした故人を重ね、自分たちを元気つけるためにひまわりとなって帰って来てくれたのではないか」と生きる力と勇気をもらったそうです。
力強く、生命力あふれたひまわりは、まさに震災復興のシンボル。
そのため、スタートのセレモニーではこの「ひまわりの手袋」を空高く掲げ、
天に昇った故人へのはなむけ、そして今を生きる人々に命の大切さや、災害への備えの重要さを伝えるのが恒例となっているのだそうです。
一斉に、咲き誇るひまわりの光景は圧巻でした。
激走!42.195km
午前9時。
さぁ、いよいよ、マラソン開始! スタート地点の「神戸市役所前」からゴール地点であるポートアイランドの「市民広場」まで42.195kmの長旅が始まります!!!!
大会ゲストには1992年バルセロナオリンピックで女子マラソンに出場し銀メダルを獲得した「有森裕子」さんも。
テレビ以外で初めてお見かけしましたが、ビックリするほどテンションが高い!!!!
スタート前から「フォー!!!」と何度絶叫していたことか。
当日、有森さんから頂いた名言をひとつ
「初マラソンは、完走できれば絶対に自己新記録」
はい。間違いないです先生!!
ってか、こんなに明るくて面白い人だったんですね。一気にファンになっちゃいました。
スタートから10kmくらいまではノロノロペース。
今回の参加者は1万9709人。
そのため、スタートしてから10kmくらいまでは、ずっとこのような芋洗状態が続きます。
キロ7分30秒〜8分くらいのゆっくりゆっくりペース。
寒く体がガッチガチだったので、こうして徐々に体温を上げていけたのは、今考えるとむしろプラスだったのかなと思います。
前半のオーバーペースは無駄なエネルギーの消耗にも繋がるといいますし、ここは体力を温存して後半に備えていきたいと思います。
海沿いの平坦な道が続き、走っていてとても気持ちいい。このまま最後までいけるんじゃないかと甘い気持ちでいた前半でした。
初体験の20km以降
私がこれまで走った最長距離はハーフマラソンの21kmまで。そこからは未知の領域でした。
普通フルマラソンに挑む方々は事前の練習で30km走などをして、体に長距離の感覚を覚えさせてから当日に臨むのが当たり前。
しかし、今回せいぜい10kmを数回走った程度で本番に臨んでしまったため、途中でやっぱり体に無理が生じて来ました。
違和感を感じ始めたのは、明石海峡大橋を越え折り返しコースも過ぎた25kmあたり。
それまでゆっくりペースで、順調に走ってこれましたが、
急に両足がつってしまいました。。。
こうなると、走ることはままならず、なんとか早歩きで前に進むのがやっと。
ちょっと休憩して、走り出すとすぐにまたツルという地獄の様相。
タイムアウトまであとわずか
フルマラソンは何時間でも走ってよいというわけではありません。
多くの大会では42.195kmを走り終えるまでにはいくつかの「関門」が設置されていて、定められた時間までにたどり着けないと、その時点でタイムアップ!失格扱いになってしまいます。
今回の神戸マラソンの場合は
- 距離0km スタート時刻9:00
- 距離3.8km 関門閉鎖時刻9:58
- 距離9.0km 関門閉鎖時刻10:42
- 距離11.3km 関門閉鎖時刻11:01
- 距離17.6km 関門閉鎖時刻11:56
- 距離20.3km 関門閉鎖時刻12:18
- 距離23.4km 関門閉鎖時刻12:49
- 距離26.8km 関門閉鎖時刻13:19
- 距離29.1km 関門閉鎖時刻13:42
- 距離34.1km 関門閉鎖時刻14:31
- 距離36.8km 関門閉鎖時刻15:00
- 距離41.0km 関門閉鎖時刻15:46
- 距離42.195km 関門閉鎖時刻16:00
上記のような13の関門が設けられています。
ちなみに25kmを過ぎたあたりで既に時刻は12時33分。
次の関門までは2km40分かけて歩いても間に合いそうですが、問題はその後。
残り20kmを騙し騙し乗り切ることができるのか、、、体力に加え、時間との戦いともなりました。
「声援」は気力の「充電」
そんな私を後押ししてくれたのが、沿道から声援をくれる60万人の大応援団。
「頑張れーーーー!!」と声をかけてくれるのはもちろん。結構な頻度で「ありがとうーー!!」と声をかけてくれるんですよね。
復興支援のマラソンだから「ありがとう」なのかな?と思っていたのですが、
中には「元気をくれてありがとう」「パワーを届けてくれてありがとう」と言ってくれる人もいるんですよ。
なるほど!!! 僕らランナーが「走る」ことは街に「エネルギーを届ける」ってことなんだと初めて気がつきました。
沿道の人たちの声援は、僕らの気力の充電にもなり、また走り続ける=エネルギーを届けることができる。
非常に面白いですね。
充電は沿道の声援から。そして燃料補給はエイドステーションから。フルマラソンで面白いエネルギー理論を体感することができました。
もう一つの活力が「笑い」
関西の大会だからか、応援団の人がものすごく明るいんですよね。中にはランナーを笑かしにくる人もいます。
ここで「笑い」のすごい力を知ることに! 笑うと体全体から余計な力が抜けて、フッと楽になるんですよ。日常、元気な時には気づきませんでしたが、満身創痍のヘロヘロ状態での「笑い」はめちゃめちゃ効果的でした。
一番笑わせてもらったのが「落選者」というプレートを持って応援してくれていた男性。どうやら神戸マラソンに応募したけど、惜しくも当選できなかった方のようです。
そんな方から「俺は走りたくても走れへんのやー!俺の分もしっかり走ってやー!」と声をかけられたら、絶対笑うし、走らんわけにはいかんでしょ!!
そうした「笑い」が奇跡を呼ぶことになります。
今まで少し走るだけでツっていた両足が、1km、2kmと走ってもツらなくなったんです。
もちろん、ペースを上げると足がついていかないので、棒のような足を引きずるようなペースで前へ前へと進みます。
こうしてなんとか残り時間を気にしつつ、5時間50分という関門閉鎖時刻10分前のギリギリで完走することができました。
有森さんの格言通り、無事に自己新記録を達成しました!!!
念願だった「完走メダル」と「フィニッシャーズタオル」をGET!!一生の記念になります。
まとめ
両足の小指に豆はできるわ、2日後まで股関節周りや足全体が痛くて痛くてしょうがなかったですが、まさか本当に完走できると思っていなかったので、自分で自分を褒めたいと思います。
人生最初で最後のフルマラソンになるでしょうが、いい思い出になりました。
体重90キロのメタボ親父が挑む初のフルマラソン奮闘記。本当は事前から体を絞ってカッコイイ姿でゴールしたかったのですが、まぁこの泥臭い感じも私らしくいいかもなと思います。
これからは、フルではなく10kmやハーフマラソンをメインに、いろんなレースに出ていきたいです!
応援して頂いた沿道の方々、最後までこの記事を読んでくれた方、誠にありがとうございました!!