熊野の神々が降臨した地「神倉神社」
世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部である和歌山県新宮市の「神倉神社」に行ってきました。
こちらが神社に向かう参道の入り口。
権現山の麓から石段を538段登って標高120mの山上にある拝殿へと向かいます。
一歩踏み間違えば、麓まで真っ逆さまに降ちていくという急峻な道のり。
この険しい崖は天磐盾(あめのいわたて)とも呼ばれ、古来から霊域や修験者の行場として広く信仰を集めてきました。
鎌倉時代、源頼朝によって寄進されたという石段。
登っている最中、満開の桜が出迎えてくれました。
出張中の紀北町では桜はまだまだ1分咲きくらいなのですが、やっぱり和歌山は暖かい所なんですね。
美しい桜の花に後押ししてもらいながら上を目指します。
20分くらいかけて石段を登り切ると、神倉神社の色鮮やかな拝殿が現れます。
その横にある、しめ縄が巻かれた大きな岩。これが御神体の「ゴトビキ岩」です。
ゴトビキとは和歌山県新宮市の方言で「ヒキガエル」という意味があるのですが、確かに角度を変えればそう見えないこともない??
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熊野信仰はこの場所から始まった
しかし、この岩、ただヒキガエルに似ただけの巨岩ではありません。
かつて熊野三山の神々がこの世に降臨する際、このゴトビキ岩の頂上に降り立ったとされる神聖な岩。
聖地・熊野の中でも極めて重要な聖域と位置づけられています。
この岩の下からは弥生時代の土器の欠片なども出土されており、有史以前からすでにこの場所は信仰の対象として崇められてきたことがわかります。
写真を撮るのは恐れ多いので撮影しませんでしたが、この巨岩は男性のシンボルのような形にも見え「生命力の象徴」という意味合いも持ち合わせています。
毎年2月6日の夜、松明を持った白装束の男性たちがゴトビキ岩から麓まで急峻な階段を我先にと駆け下りていく「御燈祭り」という勇壮な神事が行われるのですが、私はこれを生命が誕生する瞬間を模したものではないかと考えています。
真昼間でさえ、一歩一歩足元に気をつけて降りていかなくてはいけないので、暗闇の中ここを集団で駆け下りていくわけですから、そのエネルギーは相当なものです。
松明の光の1つ1つが命の輝き、我々の原点である始まりの精。その力強さを表現しているのでしょうね。
こうした原始から残る山岳信仰、巨岩信仰を今に伝えるとともに、蘇りの道ともいわれる熊野古道、熊野信仰の神髄を感じる場所ともいえる神倉神社。圧倒的なスケールの気を感じることができました。
伊勢神宮の御祭神である天照大神がこの世を照らす太陽の神であるように、熊野信仰もまた根本には「自然信仰」が息づいている。
日本人らしさとは何か、また一つ考えさせていただくいいきっかけとなりました。
自然の神々はいつも我々を見守ってくれている。そのことに感謝し今日も笑顔で。
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