「伊賀ぐり農園」の開墾作業 その2
伊賀ぐり新農園の開墾作業、昨日の記事の続きです。
農園を造成する場所は
①去年まで化学肥料をたっぷり使っていた10坪の畑
②元田んぼで10年以上前から耕作していない15坪程の土地
③去年まで稲作を行っていた一反の田んぼ跡
上記の3カ所です。
2時間で①の「伊賀ぐり肥料畑」を造成し終えることができたため、そのまま②の畑も開墾してしまおうと思います。
とにかく最初に畝を立てて果樹さえ植えられれば、あと基本はそのままですから。
どんな野菜を蒔こうか、何の植物をどのように配置すれば、より生き物たちが集まりやすい環境を整えていくことができるのかとじっくり考える時間はあります。
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「伊賀ぐり放棄地畑」の開墾
こちらが②の「伊賀ぐり放棄地畑」。
結構広いなー!ここは半反くらいあるんじゃないか!?と嬉しくなりましたが、自由に畝を立てられるのは実は「この半分」だけ。
真ん中くらいから、他の方が所有する土地になるそうです。
かつては、1つの田んぼをシェアしながら使っていたということですかね。
土地の所有者の方も「自由に使っていいよ」と言ってくれているそうですが、さすがに畝を立てるのは気が引けるので、親せきが所有する半分だけ畝を立てて、残り半分は耕さずこのまま畑として使いたいと思います。
さっそく開墾を始めようとスコップを入れた瞬間、ビックリ。
全然スコップが入っていかない。。。。
土自体は結構ホロホロと団粒化しているのですがチガヤと思われる根がビッシリ。
それをスコップで切って、掘り返していかなければいけないため、かなりの重労働。
こうしたチガヤの根に加え、スコップを入れる度にカツンカツンと石が当たるほど小石や礫がゴロゴロと出てきます。
祖母が言うには、この場所はとにかく石が多かったため機械で耕すことも出来なかったそう。
ものすごい場所だ。。。 まぁその分、硬盤層は無いということでしょうから私としては有難いのですけどね。
ヒーヒー言いながらなんとか2畝仕上げることができました。
この2畝だけで5時間かかりました。手首が痛くて悲鳴をあげ始めたので今回はここまで。
この場所にはゆず×2、晩白柚、ナワシログミ×2、キンカンを植樹しました。
もうあと1畝立てれば完成なんですけどね。。。
ここは3本、3本、2本の間隔で果樹を植えて行こうと思います。
きっとチガヤの残存エネルギーで果樹も野菜もスクスクと成長してくれることでしょう。
協生農法が「過疎地域を活性化」する!?
過疎化が深刻化している伊賀地域。今回私が造成した場所以外にも耕作放棄地が山ほどあります。
き開墾作業中も、何人かの住民から声をかけていただき、「これだけで果樹や野菜ができるならうちでもやりたいわ」と興味をもってくれる人もいらっしゃいました。
これこそが、この場所で畑を造成している「伊賀ぐり農園」の狙いでもあります。
実践して、協生農法のモデルケースとなり住民に喚起を促す。
その方がやりたくてもできないなら、私が土地を借り受けて初期造成だけを受け持つ。
地域ぐるみで協生農法に取り組む場所を生み出したい。
そうしていくうちに地元で協力してくれる人が現れたのなら、ここを「協生貸し農園」にして全国から実践したい人を募ればいい。
長年放棄され続けた土地が宝の山だと気づいた時、一気に過疎地域は活性化するはず。
一つの流れさえ出来てしまえば、あとはもう簡単。
雨が降り、土から染み出て、小さな流れに変わり、やがて大河になっていくように、この大きな気の循環を生み出すことができれば地域は変わる。
伊賀で成功したら私も私もと三重県中に広まる、三重、全国と波及していけば何が変わるか。
「価値観」が変わる。
価値観が変われば、生きる世界が変わる。果てしなく理想は膨らみます。
また協生農法は、離れて暮らす家族との「コミュニティツール」としても有効。
例えば「グミの実が育ってきたよ」「リンゴが収穫できるようになってきたから遊びにおいで」と子供や孫に電話する連絡を取るきっかけにつながります。
畑の動植物達も連鎖し、人間もつながる。地球とつながる。
一つの果樹から皆がつながる持続可能な社会に。
私はこれを叶わない夢物語ではないと思っています。
そのために、まず一歩から。
なんせ、この伊賀ぐり農園が成功モデルにならなければ話になりませんからね!
何年先、何十年先になるかわかりませんが、前に進んでさえいれば、やがて目的地へとたどり着けるはず!!
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