閉塞した時代の代弁者「没後50年 藤田嗣治展」@東京都美術館
一昨日の土曜、東京国立博物館で開催中の「縄文展」を鑑賞し終えたあと、上野で大学時代の友人と合流。
おっさん二人が向かった先は
同じく上野恩賜公園内にある東京都美術館です!
博物館の後、はしごして美術館!! あぁ、なんと最高な1日なのでありましょうか。
美術館では10月8日(月・祝)まで特別展「没後50年 藤田嗣治展」を開催中。
明治の半ばに日本で生まれ、その半生をフランスで過ごし多大な功績を残した画家・藤田嗣治の作品を100点以上集めた展覧会です。
上記の写真に写っている作品のような「乳白色の下地」と呼ばれる作風が藤田の代名詞。
どのようにしてこの作風が誕生してきたのか、藤田の画家人生を振り返りながら読み解いていこうというものです。
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戦争の閉塞感が漂う
おかっぱ頭に丸ぶちメガネと、奇抜で個性的な風貌の藤田嗣治。
しかし、その見た目とはうらはら。多くの作品からは暗く悲壮感のようなものを感じました。
どうしてか。
藤田が生きたのは「日清」「日露」「第一次」「太平洋」と4度の戦争が起こった時代。
その渦中で、世相に漂う空気をキャンバスに描いたのでしょう。
途中、息苦しくなるような、観るのが辛くなってくるような強い思念。見て回るたびにドンと足が重くなっていく感覚。
なんで人間は争わなくてはならないのだろう。
有史以前の縄文土器からは、ほとばしる強烈な生命力を感じたのに、何故近代になって暗くもの悲しさが溢れてくるものを描かなければいけないのか。
人類はどこで間違い、どう進むべきなのか、そんなことを考えてしまいました。
それだけ「縄文展」が力強かったんです。原生のチカラ。
「真似ぶこと」は「学ぶこと」
藤田の半生を追う中で、気づきを得たのは「学びの姿勢」。
東京美術学校を卒業後、単身フランスに渡りピカソやブラックに会いキュピズムの動きを取り入れたかと思えば、友人であるモディリアーニのような瞳に光を書き込まない技法を試し、南米に渡ったかと思えばディエゴ・リベラからシュルレアリズムの流れを組み入れるなど、自分の技法を確立しつつも周囲の人間たちの作風を真正面から受け入れるという「学びの姿勢」は素晴らしいことだと思いました。
様々な作風と出会う中で、吸収できるものを吸収し、深め、進化させていく。
自分しか見えない人、狭い視野しか持ち合わせていない人は薄っぺらい。藤田から学ぶものは大きい。
展覧会が終わり、友人と上野の町で久しぶりに語らう。
道は違えど、彼もより良い未来を目指し日々奮闘する人間。
お互い刺激を与え合い高め合う、そんな関係が続けばいいなと思った夏夜の下町。
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