冬の夜の厨二病
夜が暗いのは当たり前。冬が寒いのは当たり前。
停電の夜に苦しみ怯え、電気がつくのをただ待ち望む。
凍えながら恐れ、灯油が届くのをただ待ち望む。
停電したのは誰の責任だと声を荒げ、契約違反だと叫び心を乱す。
夜は暗いが、必ず陽は昇る。
冬は寒いが、必ず春は来る。
暗い寒いと嘆きながら、朝や春を待つのは耐えがたい。
夜には夜の、冬には冬なりの暮らし方がある。
夜に朝の生活を求め、冬に春野菜を手に入れようとすれば、
どれだけのエネルギーが必要となり無理が生じるのか。
今を見つめ、どこに楽しみを見つけ、生きるのか。
それを問いかけ探し出し、呼びかける方が、よほど有意義ではないか。
夜や冬がなければ、いかに太陽が偉大で有難い存在か気づくことはできない。
何が善で何が悪か、何を崇(あが)め何を祟(たた)るか、そもそもそんな定義は最初から自分の中にしかない。
既存のステータスに執着し乞いすがるのではなく、家族といかに笑いながら1日1日を過ごすことができるのか。
それがどれだけ尊く愛しいことか。
私たちは自分の意思で2本の足を使い、前に進むことができる。
誰かに責任をなすり付け、心を軽くしたフリをするくらいなら
今や未来を自由に笑って過ごせる方法を、自分や仲間と考え実践したようがよほど心が軽くなる。
冬の夜こそ、本来あるべき物事の価値観に気づくことが出来るチャンスかも知れない。