自然淘汰と畑の進化
どんどん咲き誇っていく野菜の花々たち。
雨上がりの畑にいくと雨降り前と比べ、とんでもなく成長している個体もいて、その姿にいつも驚かされます。
花が終わるといよいよタネを付ける時期。彼らがここまで頑張って生きてきた証を次の世代に受け継ぐ最大の見せ場です。
かのダーウィンは自らの著書「種の起源」で、「その環境に最も順応できたものだけが生き残る自然淘汰」を論じています。
それぞれの環境下において、どのように馴染んで生きていくか。そして子孫を残せるか。
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年月を重ねるうち、その環境に適応できなかった個体は徐々に数を減らし、やがて存在できなくなる。
標高や気温、日射量、雨量、天敵の有無などなど畑ごとに異なり、それぞれの環境が「得意」な個体だけが勝ち残ることができる。
自家採種をすることは、こうした優秀な遺伝情報を持った個体を増やすことにも繋がります。
ただし、数年自家採種をしたからといって皆が皆優秀な個体ばかりが生まれるとは限りません。
環境に特化した個体や、そうでもない個体、めっちゃ苦手な個体など多様なバリエーションが受け継がれていきます。そして、案外めっちゃ苦手な個体が来年優勢になることも。
毎年、気象条件も異なってくるので去年順応できた個体が来年も生き残れるとは限らないからです。これが自分のクローンを作り出す無性生殖と自分のコピーを増産する有性生殖の違い。
繁殖の効率は悪いけれど、様々なバリエーションをもった子孫を残せるというのがメリットでありギャンブルのようなものですよね。
こうして何十年と繰り返すうちに、その環境下の様々な情報を獲得したエキスパートが育っていく。それはある種の進化とも呼べます。
そうした生きる力の強かった野菜を収穫していただく。
見た目や体のサイズよりはるかに重要な生命力たっぷりの野菜。
どこにも売っていない、自分の畑環境に特化した野菜。
生命を情報ごと恵みとして享受し、今を生きる糧とする。カロリーではなくエネルギー。
自分が住んでいる土地で取れた季節ごとの野菜を食べるのが最も健康であるという「身土不二」の考え方がありますが、自分の身体はその土地と一体と捉えた思考は上記に通じるような気がします。
全ての生物は「生命の樹」といわれる一つの巨大な連鎖でつながっており、人間もその一部。
協生野菜は、私たちにどのように未来を生き伸びることができるのか、その順応方法を命を持って教えてくれます。