岡本太郎と自然栽培「太陽の塔」に込められたメッセージとは?

大阪府吹田市の万博公園内にある「太陽の塔」の内部がリニューアル。それに合わせて今年3月から一般公開が始まりましたね。完全予約制ですでに4ヵ月先までいっぱいなんだそうです。

今年、最も注目を集めるであろう「太陽の塔」。そこに岡本太郎が込めたメッセージを紐解けば、まさかの「自然栽培」や「協生理論」とも繋がってくる!? 今日はそんなお話です。

太陽の塔とは?

太陽の塔は1970年に開催された大阪万博の際に芸術家「岡本太郎」によって造られた建造物。

70mの高さはもちろん、その圧倒的な存在感は、太郎曰く「大阪万博におけるべラボーなシンボル」とのこと。

万博のテーマは「人類の進歩と調和」。

1970年といえば、高度経済成長の真っただ中。大阪万博は戦後日本が国の威信をかけて明るい未来の象徴として行われたと言っても過言ではありません。

その中で、太郎は「太陽の塔」でどんなメッセージを届けたかったのか。

そこには「進歩」と「調和」という真逆ともいえる矛盾、「万博とは何かという根源への問い」が込められていました。

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「技術の進歩」が夢の未来を切り開く?

万博は「世界に自国の技術の進歩をアピールする絶好の機会」。岡本太郎はこの思想に違和感を感じていました。

技術の進歩によって、人間の生活は楽にはなっているが、それと同時に心も虚しくなっているのではないか。

社会の機械化が進むにつれ、人間の心まで機械化されていっているのではないかという危機感。

日本全体が前へ前へと進もうと意気込んでいた時代に、岡本太郎だけは「そうではない」「その価値観は危険だ」と訴えかけていました。 しかし、そんな孤軍奮闘の太郎を「変人」だとあざ笑う風潮さえあったそうです。

みんなが未来を夢見ているのに、何故水を差すようなことをいうのか」と。

岡本太郎の「メッセージ」

そんな万博の気運の中、岡本太郎は一貫して「人間とは何か?真の幸せとは何か?」を訴え続けます。

そのメッセージの塊が「太陽の塔」。

人類の進歩をうたう展示物の中で、太陽の塔は「縄文時代の土偶」という古代エネルギーの塊、日本人の根源としての在り方を表現していると言われています。

風や大地、草、岩、全ての自然を崇拝していたころの縄文時代の日本、八百万のカミガミの概念が生まれるはるか前から我々のDNAに刷り込まれてきた自然信仰の形。

万物の生命を生み出す「太陽」を表現した巨大な土偶、それこそが太陽の塔なのです。

自然をないがしろにした文明の進歩に何の意味がある?」それが岡本太郎が大阪万博で問いたかったメッセージ。

その視点でみてみると太陽の塔は「原始の天照大神」の姿そのものなのではないかと個人的に思っています。

太陽の塔の表には顔が2つ付いていますが、これは「和魂(にぎみたま)」と「荒魂(あらみたま)」という神様の持つ2つの側面を表現しているのかなと思ったり。。。 (伊勢神宮内宮でも実際に2つの魂を祀っていますし)

さらに、塔の裏側にも黒い太陽の顔が1つ、地下にも顔が1つ。計4つの顔は人間や神様の「一霊四魂(いちれいしこん)」の思想からきているのではないかと勝手に解釈しています。

一霊四魂とは

和魂(にぎみたま)は調和「親:人と親しく交わる力」

荒魂(あらみたま)は活動「勇:前に進む力」

奇魂(くしみたま)は霊感「智:物事を観察し悟る力」

幸魂(さきみたま)は幸福「愛:万物を愛し育てる力」

上記の4つの魂を「直霊(なおひ)」という1つの霊が調整しているという古神道の考え。

岡本太郎が「原始の日本人とは何か?」を説いていたのだとすると、あながち間違いではないのかもしれません。

ちなみに悪行を働くと、直霊は「曲霊(まがひ)」となり四魂の働きは邪悪に転じるとされていることから、

これから日本がどうのような方向に進んでいくのか、未来の決めるのは我々の行動であり選択だということも示していたというふうに受け取ることができるような気がします。

太陽の塔の中には「生命の樹」が

外から見ても、自然信仰だとわかるのですが、太陽の塔の内部に入ればそれは一目瞭然。

中にあるのは「生命の樹」という高さ40mの巨木のモニュメントです。

樹の根本にあるのはアメーバなどの単細胞生物、原生生物の像、そこから上に行くにつれ、様々な古代生物が現れ、今の生き物たちへと受け継がれていく構造。樹全体が命のつながりや進化の過程を表現する系統樹になっています。

いわば太陽の塔全体が1つの巨大な生命体

太陽の元に暮らす生き物は単細胞生物から全てが命の連鎖でつながっているんだということを示しているのではないでしょうか。

岡本太郎は、特に単細胞生物を重視していたそうで、そこには「人間本位の考えを捨て単細胞に戻る」「命とは何か?人間の幸せとは何か?」という本質の問いを投げかけていたといえます。

今、この問いを投げかけるのなら分かります。それを1970年高度成長期の日本で一人叫び続けていた岡本太郎。。。

50年近くも遅くなってしまいましたが、やっと時代がその考えについていけるようになっていたように思えます。 

今この時代に、太陽の塔の内部を公開することは非常に大きな意味をなすこと。

失ってから渇望するのでは、あまりにも遅すぎますが、人間とはそういう生物。

今こそ岡本太郎が太陽の塔に込めた本当のメッセージに気づく時。 

「真の人類の進歩と調和」、今一度足元の常識を見つめなおす良い機会なのではないかと思います。

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