自然信仰の世界遺産「宮島」 【潮の干満・厳島神社】編
和歌山から移動し、広島パートに移ります。
今日は夕方から打ち合わせのため、日中は時間に余裕があるということで、兼ねてから興味を持っていた世界遺産の「宮島」へ渡ることに。
宮島は厳島神社だけが信仰を集めているわけではなく、広大な原生林が広がる島全体が御神体。
周囲30kmほどの小さな島に人、自然、神や仏、それらが全て溶け合って共存しています。
平清盛、豊臣秀吉、伊藤博文と日本を動かした人物たちが挙って信仰を寄せたという宮島。
彼らがこの島で何を感じ、何を憂い、何を見据えたのか、以前からそれを探りたいと思っていたので、非常に楽しみです。
学生時代に戻った気持ちでフィールドワークを行いたいと思います。
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宮島へはフェリーで10分
宿舎があるのは東広島市の西条駅近く。そこからJRに乗って1時間ちょっとで宮島口駅へと辿り着きました。
そこからフェリーに乗って宮島へと渡ります。
フェリーはJRと宮島松大汽船の2つの会社がそれぞれに運航しています。
どちらも片道180円で15分に1本という地下鉄並みの頻度でやってきます。
学生時代の修学旅行で一度来たことがあるはずなのですが、全く記憶にありません。。。
なんとなく電車で移動し、ボケーっと何も考えずに厳島神社の社殿を見ただけ。もったいない時間の過ごし方をしていたと猛省。まぁ、仲間とワイワイ騒いで、あれはあれで楽しかったのでしょうけどね。
まさか再び、自分の意志でこの島に来るなんて当時は微塵も思いませんでした。
10分ほどのフェリーの旅、そんなこんな思い出している間に宮島へと到着です。
「潮の干満差」で景観が一変
日本三景のひとつでもある「安芸の宮島」。
宮島は「厳島(いつくしま)」とも呼ばれ、太古より島全体が信仰の対象とされてきました。
「神をいつきまつる島」という意味が由来し「厳島」という名前がつけられたと言われています。
とりわけ信仰心が厚かった人物が平清盛。
清盛が造成した社殿が今に残る「厳島神社」です。
満潮時はまるで社殿が海の上に浮かんでいるようにも見えます。
この清盛の独創的な寝殿造りは平安時代の美の極み。
多くの先人たちによって守り継がれ、現在に伝えられています。
厳島神社は干満の差で景観がガラリと様変わり。
干潮になると・・・
!?
海水が一切なくなりむき出しの状態に。
6時間ごとに異なる社殿の風景を堪能することができます。
この日は特に干満の差が激しい「大潮」。
9:32分の満潮時には320cmだった潮位が、15:38分の干潮には85cmまで下がってしまうのですから驚きです。
厳島神社のシンボルでもある高さ16mの大鳥居。
干潮には大鳥居の真下まで近づけるほど。潮が引いていきます。
こうして潮の干満差を利用した神社の設計は国際的にも例がなく、平成8年に世界文化遺産として登録されています。
何故、清盛はこのような海上神殿を作ろうと思ったのか、山と海と社殿が調和した景観の美しさはもちろんでしょうが、私は潮の満ち引きによるエネルギーを得ようとしていたのではないかと思いました。海の力、月の引力。
しかしながら、干満差は考えようによっては「生と死」「栄と枯」とも捉えることもできます。
盛者必衰の理をあらわす。
そう思うと、大きな因果があるような気がしないでもありません。。。
次回は、この島の自然信仰の大元「弥山(みせん)」の登山レポートをお届けします。
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