忘れられない街「北千住」の思い出

東京足立区にある北千住

私が社会人になって初めて上京した際に住んでいた町です。

どことなく昭和の匂いが香ってくるような下町慕情。

駅前の居酒屋「永見」さんには本当にお世話になったなぁ。

おやっさんの笑顔に心癒され、千住揚げに腹を満たされた良い思い出があります。

大学の友人達が東京に来てくれた時もこのお店を紹介して喜んでもらいました。

こうした思い出深い店が今も残っていてめちゃめちゃ嬉しい!老舗のお店も津ではどんどん姿を消してしまっていますからね。

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そんな懐かしい町へ先日久しぶりに足を運んできましたが、思い出すのは良いものばかりではありません。

当時名古屋より東では住んだことのない私にとって、東京は未知なるコンクリートジャングル。

しかも職場では「受け身」かつ「ドンクサイ」とあって一言でいうと役立たずな存在。

当時の自分を客観的に振り返っても確かにダメダメ君の典型だったような気がします。

 

出来の悪い私には2週間「あるルール」が定められました。

①ビニールテープ(黄)で1m×1mの四角く囲ったエリア内に立って皆が仕事する様子をひたすら見学する

②なお業務時間中、勝手にそこから出ることは許されない

③もしトイレで出たい場合は挙手をし上司の合意をえること

非常にシンプルなルールです。

要は「お前は何も仕事出来ないんだからとりあえずそのエリアから皆がどんな仕事をしているか見て覚えろ」ということなんでしょうが、まぁしんどい。

トイレ目的以外でエリアから出られないもんですから、昼食なんてもちろん無し。

3日目くらいに日中の空腹に耐えきれず、出勤途中にコンビニで菓子パンを買い、それをズボンの中に隠してトイレに行くついでに20秒で食べるという技を習得しました。(廊下で食べてバレると大変なのでトイレの中でこそっと昼食。)

なんだったんでしょう、ホントしょうもないですね。生産性ゼロに近いですよ。

負けん気を張らずに、早く音を上げて泣いて土下座すれば解除してくれたんでしょうけど、、、

2週間耐えちゃったんですよね。

これが皆からすると面白くないわけです。

私も私で仕事を覚えようなんてこれっぽっちも思わず、ただどう耐えるか、いつのタイミングでトイレ休憩を取るかしか考えてなかったわけですから成長も何もあったもんじゃない。

ただただフィジカルとメンタルが鍛えられたのみ。。。

それからというもの「バカ」「キモ」という稚拙にもほどがあるニックネームを襲名し、これまで以上に寵愛を賜ることになりました。

頑張る方向性を見失い、全ての歯車がかみ合わない日々。よしやろうと思えば思うほど空回り。

当時は無駄に反骨精神も強かったため、先輩たちにとって相当厄介な存在だったことでしょう。。。

 

普段の業務といえば「行政の矛盾」「法の抜け穴」など二十歳そこそこの若者にとってはヘビーな内容。

全国津々浦々飛び回る中、新潟にて遺伝子組み換え米研究の反対運動を取材させていただいたのは特に印象深く残っています。

地域住民と行政の温度差、どの尺度で未来を見つめていくのか。

業務の裏では悪質な面もありましたが、勉強させていただくこともそれなりに多くやりがいがあったことも事実。

でもやっぱり辛かったなぁ。。。 今もう一度やれと言われたら絶対に嫌ですね。

「バカは東京に友人がいないから休みあってもやることない」という謎の認識から3か月に1日も休みなし。

好きなことに打ち込んでの結果だったら分かるんですよ。気づいたら3か月休まず働きっぱなしだったみたいな。

辛い辛いと思いながらの日々は地獄以外の何物でもなかった。。。

休日をいただいたのが余りにも久しぶりすぎて、洗濯と掃除以外やることがさっぱり分からない。

思い立って北千住駅前の百貨店丸井に出かけたのですが、中には家族、カップル、老夫婦、子供達、楽しそうに笑う大勢の買い物客たち。

ふと鏡に映った自分を見ると、ぼっさぼさの髪でよれよれのTシャツに穴の開いたジーンズ、強張った顔。

入って数分で、一人では立っていられないくらい気分が悪くなってすぐに出てきました。

むせび泣きながら向かったのは近所の荒川の河川敷

金八先生シリーズのOPでおなじみの場所です。

人間、過度のストレスを受けると何か少しでも自然に近い環境を求めようとするんですね。身をもって実感しました。

何か知らんけど落ち着くような気がする。行く場所もないからここで寝る。それ以来、幾度となく荒川は私を受け入れてくれる存在となりました。

いつの時代も川は私の人生に欠かせない存在です。

ありがとう荒川。

結局、それからまもなく大学時代を過ごした名古屋に出戻ってしまい、東京からは逃げ出してしまいました。

それ以来、どうしても「逃げた」ということに引け目を感じてしまいます。

しかし最近では、東京にいたままならば決して出来なかったであろう経験をさせていただいたり夢のような賞をいただいたりと、何周か回ってあの時逃げたおかげで今の自分がいる。

当時の選択は正しかったのだと肯定できるようになりました。

変わるもの変わらないもの。

建物や人の心、思い出の場所。

時を重ね美化されるもの、こびりついた過ち。

当時は引け目を感じていても、今の生き方でカバーできることもある。

アノ時の涙は決して無駄ではない。

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