「協生農法士第二号」に向けて!
朝目覚めると、携帯にたくさんの方から「おめでとう!」「やっとここまで来ましたね!」「自分ごとのように嬉しいです!」など嬉々としたメッセージの数々が。
へ? 何のことですのん??
メッセージに添付されていたのは野人エッセイすの「協生農法士 第一号誕生」という記事。
伊勢二見にある藪木農園の薮木さんが協生農法士の第一号に認定されたという内容。
私は直接お会いしたことはないものの、知人やむーさんのブログなどから藪木さんがどれだけの熱意と真心を持って協生農法の普及活動にご尽力されているか情報を得ていたので、いよいよ本格的に進みだすのだなとワクワクしながら読み進めていました!
すると、記事の最後に驚きの内容が。
協生農法士の第二号も決まっている。
名張で10年近く前から1反の麦わら農園を実践している男でNHKのディレクター。
ブログに何度も登場、おはよう東海の番組でも協生農法を紹介したが、野人は編集に口出ししなかった。
薮木農園主同様にちらほら講習・講演依頼が来ている。
まだ不完全なところはお野人が猛特訓して認定、波及の為に農法士は必要だからだ。
一瞬、何かの間違いかとも思いましたが、、、何度目をこすっても、頬をつねっても同じ内容。
どしぇええええええええええええええええ!!!!!!!!!
まさに寝耳に水。
青天の霹靂ともいうべき事態に放心状態。
ただ、私が言えることは一つ。
協生農法を実践してきて本当に良かった。。。
今から6年前の2017年5月。
コンクリートのようにカチカチ、雨が降ればジュルジュルの水田跡で産声をあげた麦わら農園。
これまで何本の果樹や野菜たちを枯らしてきたことか。
枯らして枯らしてまた植えて。
表土むき出しの状態に点々と果樹を植えただけ。
当然まだ生命のエネルギーを集める仕組みもなく、水はけも悪いから根腐れを起こす。
まぁ、そりゃ枯れますわね。
当時の僕は、そんなことすらも理解できていませんでした。
日本中の耕作放棄地を恵みの森に変える!
こんな過酷な環境で成功出来たら世界が変わるはず。
その思いだけが先走って、何一つまともに立地条件や動植物たちと向き合っていませんでした。
あの日見た、むー農園の景色。
流美農園さんから教わった、人と心通わせることの楽しさ。
様々な動植物、そしてヒトが己の命を謳歌し、活き活きとひしめきあっている姿に胸打たれたあの衝撃。
皆が驚き心動かされる生命の楽園を僕も作りたい。
自分がやっていることは未来への種蒔きだと信じながら、それでも枯らして枯らして枯らし続けて。
ブログでは虚勢を張り続け、ほぼ上手く行ったことを中心に面白可笑しく書いて。
「なんで枯れるの分かってるのに木を買ってくるの!そんなことにお金使うなら私達のために使ってよ!」
そんな家族の叫びにも耳を傾けず、一心不乱に。一種のやけというか錯乱状態だったのかもしれません。
そんな私の転機となったのが、父親による農園の耕起。
一番近くにいる家族にさえ、何一つ理解されないもどかしさ。
さすがに少し心が折れかけましたが「せっかく耕して不耕起をリセットしてくれたんだから、これを機会に高畝へ変えちゃおう」という前向きな思考が働き、「父さんありがとう!」と逆にやる気に満ち満ちてくるという摩訶不思議な体験。
ほんの少しのきっかけで、その後飛躍的に軌道に乗っていくんですから人生は本当に面白い。
その後、400万年前の古琵琶湖層に眠るの古の生命エネルギーの存在や
悠久の時を澱まず流れ続ける本来の川の仕組み、通電と生物の営みの関係性
名張の地質や岩盤に秘められた1400万年前の火山エネルギーと修験道の目的
この土地で暮らすオオサンショウウオが3000万年もの間、姿形を変えず生きているのは何故なのか。
ほとんど食事もせずに世界最大の両生類のサイズを保っているのはどうしてか。
などなどなど、、、、上記に書いた事例は、協生農法の理論ともリンクして密に関係している内容。
私がディレクターとして実際に訪れ、見つめながら感じた様々な「エネルギー」について、むーさんからお話も聞きながら自分なりの解釈も加えてきました。
協生農法は、ただの野菜栽培法ではない。
生命の仕組み、エネルギーの活用法が理解できてこそ「無施肥・無農薬・不耕起」の重要性がわかる。
お恥ずかしながら、私はむーさんや藪木さんのようにまだそれぞれを完璧につなげて言語化することが出来ず、理解が浅い状態ではあります。
そんな未熟な私を協生農法士第二号に御指名くださった。
こんな誉高いことはありません。
これまで北海道、東京、長野、石川、三重、滋賀、奈良、京都、大阪、和歌山、兵庫、長崎、宮崎、鹿児島、沖縄、アメリカ、イギリスなど大小様々な場所で実践したいという方からご相談をいただき、ZOOMなどでほんの少しだけ私の想いや体験談をお話をさせていただいたこともありますが、身近な友人の実践地以外、現地に赴き理論を語ることはしておりません。
今後、むーさんの最終審査を受け合格し、正式に認定していただければ全国で活動ができる。
全国の耕作放棄地が恵みの森に変わり、生きとし生ける全ての生命が笑顔で溢れかえる未来を自分の目で見たい。
今は半D半農の生活ですが、協生農法士第二号〝裸足の伝道師”として人生の全てを協生農法の普及に注ぎたい。
本心からそう思っています。
いつも応援してくださる麦わら応援団の方々。
不敬な私を見捨てず、ここまで導いてくれたむーさん。
そして私のわがままに愛想を尽かさず見守ってくれる家族。
初心と恩義と感謝を忘れず、最大級の愛情を捧げます。
本当にありがとう。この世もあの世も全てを愛しています。
麦わらどんぐりさん、おめでとうございます。
すごく熱い記事でした。
田んぼの中の細長い粘土質のこの土地が6年でこんなに変貌するとは、驚きを超えて畏怖すら感じます。
ブログで記録が残っていることが実践者の励みになります。
生命の仕組みや生命のエネルギーについてはこれからよく思考していきます。
いつもありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。
たつさん
狂気というエネルギーを感じていただきありがとうございます!!!
自然状態のまま放っておいて、たった6年でこれほど植生遷移が進んだ状態には絶対なりえませんからね。
まさに拡張生態系、人と動植物との調和がもたらす協奏曲です!
しかしながら「畏怖」という言葉のチョイスが素晴らしいですね!!!
僕も農園全体が一塊の大きな生命集合体だと感じていますので、エレメントを越えてカミに近しい存在に変わってきたのではないかと思っております。
これからも記録していきますので、引き続きお楽しみくださいませ!!
いつもありがとうございます(*^^*)
こんにちは!!くろせの田舎者兼業者
麦わら協生農業は、失敗だらけですが、良く続くと感心します。
田圃、畑は本来酸性土ですが、草が生えると酸性が薄くなるのではないかと、
土が粘土質のように固かったら、生り物もね梁が出来ず、水分が多いと根腐れ、生り物の性質を知っての上、道の駅に出せる野菜、形ではないが昔人間は、うまさより形を取りやすい。
耕作放棄地がまた増えました。木のような草が生えこびりて、手の付けようがありません。
草の中で協生市てくれる生き物(野菜、虫等)は管抜釘来てると思うが、放棄地が身体にまた、害のある蛇類がはびこっているのも実情。一言でいうと、怖い反面、面白いところが、一度草を刈り、草殻しで2~3か月ほって、耕しマルチを敷いて畝を作る共生型が生きてくるのではと感じてる。自然食野菜の作付け、にらを植えると虫が寄らないと、前のおじさんは、ミニ畑をされていました。
私も、リンゴを植え、にんにく、夏野菜(トマト、キュウリ、ナス、ピーマン等)植えてますが、今年は温暖化でまだトマトが他の方のところは枯れてるけど、まだ青いです。先日まで、イチジクができてました。スイカも普通は盆までですが、良く月まであり、近所に分けました。自分は、股関節を人工手術してますが、まだ動けます。トラクターにも乗れますが、稲作は出来ないので、人に頼んでいます。その人が倒れれば(3町超えされている)もう次の第3次元を考えればと思っています。頑張って!!
シゲルさん
コメントありがとうございます!
いろんな野菜や果樹を植えて楽しまれているんですね。
ご近所にお分けするほどスイカが出来たなんて羨ましいです。
きっと素敵な畑なんでしょうね。
頑張ってというお言葉、大変励みになります!!!