「伊賀ぐり農園」の開墾作業 その1
今回、新たに伊賀市で協生農法にチャレンジする畑「伊賀ぐり農園」の開墾作業を行いました。
農園を造成する場所は
①去年まで化学肥料をたっぷり使っていた10坪の畑
②元田んぼで10年以上前から耕作していない15坪程の土地
③去年まで稲作を行っていた一反の田んぼ跡
上記の3カ所です。
まずは①と②の場所から開墾して行こうと思います。
③については今年は下草を生やしてそのまま置いておき、ある程度土が固まるのを待ってから開墾を行おうかと思案中です。
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「伊賀ぐり肥料畑」の開墾
こちらが①の伊賀ぐり肥料畑。
今はすっかり更地になっていますが、去年までこの場所で私の母方の祖母がカボチャやジャガイモ、キュウリ、タマネギなど様々な野菜を慣行農業(農薬・化学肥料・耕起)で作っていたそうです。
しかし体力の衰えから、もうこの場所で野菜を作ることは困難と判断し畑仕事の引退を決意。
8年前に亡くなった祖父、その親、さらにその親と代々守り継いで来たこの畑を「失くそう」と思い立つまでには相当な葛藤があったのだと後から知りました。
私からこの場所に畑を作りたいと申し出があった時には、仏壇に向かって「先祖さんに顔向けできへんようになるとこやった。ありがとうありがとう」と祈るように喜んでいたと聞きました。
私が「果樹を植えて、草もたくさん生やすよ」と説明しても「使ってもらえるだけで嬉しい。どうにでもしていいよ」と快諾。 有難く大切に使わせていただくことにします。
まずは畝立てから。10坪の畑に1m幅の畝を5本立てようと思います。
スコップで畦道を掘り、その土を盛って高畝を作ります。
さすが去年まで畑として使っていた場所だけあって、粘土質でありながらもすごく掘りやすい!!
うちの田んぼ跡の畑とは大違い! さくさくと作業が進みます。
一掻きするごとに出てくるミミズに幼虫。それらを食べようとカラスが一羽飛んできました。
おぉ見ない顔だな、ワシへの貢ぎ物か?と、全く人間を恐れる様子もなく私の近距離でバクバク食べておりました。
畝立てが終わったので、続いては協生農法のキーである果樹を植えることに。
リンゴ津軽×2、リンゴルビースイート、あんず×2、暖地サクランボ×2、ナワシログミ、カジイチゴを植樹しました。
果樹は、植生遷移の上で一年草や多年草である野菜の親玉。大きくなれば半日蔭の状態を作り出せるほか、樹のそばでは木の気を受け取り野菜が成長しやすいそうです。
もちろん多様な生物達を集まりやすくするという役割も担っています。
1畝ごとに2本、1本、2本、1本、2本と重ならないようにしました。
植樹後、土が乾かないよう枯草をかけて「伊賀ぐり肥料畑」の造成は無事終了。
土が非常に掘りやすかったため、2時間もかからずアッという間に完成してしまいました。
種まきはまた今度。来年の春には、ここにも山ウドや他の有用植物もたくさん導入し、徐々に野山化を進めていきたいと思います。
ただ、ここは相当肥料を使っていたようで、数年間は肥料が抜けるまで時間がかかりそうですね。。。
今回のように畝を立てるのは一番最初の今回だけ。不耕起で行うため、これ以降土を耕すことはありません。
といいますか本当は畝を立てる必要もないのですが、畝を立てておくと何処に何の種をまいたかなどデータを取りやすく、排水性も向上。
また、一番のメリットは「ここを畑として使っています」と周囲の住民にへアピールすることができることです。
自分の畑でも高畝化をしてから急に周辺住民を始め、家族までも見方が変わってきたように感じます。(スコップ一つで汗を流しながら作業する姿に、何かを感じてくれたのかもしれませんが。)
特に今回の畑は、民家と密接した場所ということでこうしたことが後々効いてくることになると思います。
自分の畑ではなく親戚から借りる土地。ちょこちょこ祖母も畑を見にくると言っていたので、分かりやすくしておくという意味合いもあります。
念を押して、肥料をあげたり草を抜くことはしないで欲しいとお願いしておきました。
さて、このまま続いて②「伊賀ぐり放棄地畑」の造成へとまいりましょうか!
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